今まさに
やらなくてはいけないことがある。
だから、やる。
それだけだ(蝶野の言ってる通りだ)。
それを終わらせなくてはならない。
終わらせて、やることが無くなったときに、
静かに眠りたい。
風の電話
という番組を見た。
今まで、35年電話に関係した仕事をしてきた。
電話を最初に使ったのはいつだったろう。
家の電話番号を覚えたのは、最初に家を出た時だったから、
もう40年前の話になる。3559から7444に変わったことを覚えているから、
もう少し前かもしれない。
最初に電話を掛けた記憶はあやふやである。
掛かってきた電話は8,9割がた嫌な電話である。
掛けた電話は、自分の思いから気にはしてたが、
相手にとっては、やはり同じくらい嫌な電話だったろう。
電話の無礼さが嫌いだ。
相手の都合も考えず、いきなり時間を要求してくる
あの呼出音。無神経だ。大嫌いだ。
その後、電話は携帯電話へと、どんどん利便性が増していったが、
それと同期して、相対的に掛ける相手の時間を無遠慮に使う様になった。
大きな災害にもあったが、そのような時に役に立たない脆弱性もあった。
つまり、ほとんど要らない、使えないものと認識していた。
そのような電話関連の仕事で飯を食ってたわけだから、
人生は皮肉なものである。
かつての上司には、電話関係じゃない仕事をさせてくれと
頼んだこともあった。(若気のいたりでした。
ごめんなさい木村さん。)
この番組を見て、役に立つときもある事が分かった。
相手がいないことを、前提に。
回線がつながっていない電話である。
それは、時空間としてプライベートなメディアであるがゆえに
役にたっていた。もちろん会話は成り立たない。
呼出音するたぶんならないのだ。
祈りにも似ていた。
生きてる人の脆弱性を思った。悲しいとおもった。
私もこの電話で話したい(会話では無いが)と思った。
最後に
彼女が先週再度入院しました。
これが最後の入院かと思ってます。
私も疲れました。
もう最後にしようかと思いました。
日曜日を迎えられたら、何か書こうかと思ってます。
今、スケアクロウを見ています。
案山子になりたい。(さだまさしは大嫌いですが)
今日覚えた人は原町市の若松さん。
外人と対談してました。
やはり、外人の方は祭りに関して、「豊作」=「利益」という発想でした。
西欧は生きるのが苦しいのですね。
日本は、食べれなくなってどうしようもなくなったら負けなさいという
文化が浸透していると思います。
誰に負けるの?自分にです。だったら勝つのも自分です。
それで良いではないですか?
内田樹先生の書かれていることに、共感はするのですが、
今一腑に落ちない部分があります。小田嶋先生とかにも感じるのですが、
達王先生は理屈は違うと思うのですが、共感できる部分が多いです。
この違和感について、しばらく考えて見ようと思ってます。
仕事はもうやめることにしました。
次期決算をもって引退します。
それでも、まだ生きているようなら、無限遍路に出ようかと思ってます。
身の回りの整理を始めます。
それでは、また来週の私へ。