光と言うのは

残酷だ。
目と言うものが有るからか。
目は何のために有るのだろう?
危険を察知し、生きるため?
食べ物を探し、生きるため?
いずれにしても、残酷だ。
世界の本質が闇なら、世界は暗く優しいはず。
光有る所の生き物は、残酷な世を見ながら、
だんだん麻痺して行き、優しい闇に戻るのだろう。それだけが、生き物の救い。
光を浴びると暖かい、この、暑さの手前までが、優しさか?
いずれにしても、目は暖かさを感知しない。
希望は、光に例えられる。だとしたら、希望も残酷なものなのだろう。

それできっと良い

わからないけど。
そう思いたい。
自分が知ってる人達が今日も一日平和に過ごせた事を。
今日同郷の後輩と、合図も無い東京の一階の隅で。
時間のずれたタイミングで北東を、向いて黙祷した。
涙が出てきたので、言ってた時間で上を見れなかった。
その後、口数が少なくなった事を、後輩に気がつかれたろうか。
さだまさしのリアリティーの無さを実感した。
故郷は死ぬ事もある。

最近の事件、少年が殺された事件

事件自体はよく知りません。
フェースブックの友達が、殺した側が
人情を感じれるように育ったのだろうかと
かいていたので、人を殺す事は自分を殺す事だと言う私がいつも感じてる事をコメントしたら。他人を殺す事は良くないとさらにコメントがついた。私は良い悪いで話をしたわけでは 無かったが、そう言われるとそうですねと答える。その人の価値観が綺麗に思えるから。ナイーブだとは思うけど。誰も好きで産まれてきたわけでは無いのだから。人を殺してしまうようになったのは、殺した人の問題だけでは無いのだから。自分と他人は同じだから。自殺と他殺も同じだから。違うと思えるのは、幸せなのかも知れない。

春一番

キャンディーズでは無いですが。
わたしにとって春一番は、新年の感覚です。
嫌いな春がまた巡ってきます。
はるは変化が多いので嫌です。
あすから慣れた町へ出稼ぎに行きます。
死んでるのと同じ時間を半年過ごす予定です。
生きる事は、帰ってきてから考えます。
サウイウモノニワタシハナリタイ

人を減らすか 宇宙に行くか

どっちかしかない状況で、どっちを選ぶか。

時間的には宇宙へ行く方は、間に合わなくなりそうですが。

集団の意思を向けるには、人を減らすのは難しい。

けれど、日本人は無意識にちゃんと人を減らしている。

行政が煽っても。

このような事を見ていると、本来人は馬鹿ではないのだなと思う。

宇宙へ行くロードマップを考えるのが大事な気がしてきた。

まずは、光合成のできる環境づくりと効率を考えないと。

 

死にたいと思う人ほど

生きたいと思うのだと思う
振れるふりこのように
両極の行き着く先は
そこに行った者だけが
わかるのだろう
そして
帰る事もなく永遠へと
だから今は引力のままに
沈んでいる
帰りたい
引力の先へ
来たくなかった

何もかも

自分のおもい通りにはならない
それは多分意識が芽生える前から
理解していた事
生きて行く中で思い通りになった事は
一つも無かった
妥協を学ぶ事が生きると言う事なんだろう
彼女がいきてるから
今も生きてるけど
居なくなったら?
もういいでしょ
自分だけになったら
望むのは永遠の眠り